昨年暮れの12月15日に廃部が正式決定となった日本大学アメリカンフットボール部“日大フェニックス”。1940年創設で約120人もの部員数を誇った名門が大麻騒動に翻弄され、看板を下ろすまでのウラ側をマネージャーが明かした。
廃部が決まった2日後、兵庫県の阪神甲子園球場で、アメフトの大学日本一を決める「甲子園ボウル」が行われた。関西学院大学vs.法政大学の一戦は関学が制し、6連覇を果たした。
「本当は僕たちがこの舞台に立つはずだったのに、挑戦すらかなわなかった。日本一を目指してやってきたんですけどね。テレビ中継は辛くて見られなかった」
寂しげにそう語るのは、日大4年生で、フェニックスのマネージャーだったA君だ。彼に“災難”が降りかかったのは23年6月。中村敏英監督からの唐突な連絡が始まりだった。
「大麻を使った疑いがある部員がいるので練習を自粛します、とチャットアプリで連絡がきました。この時は“何言ってるんだろう”くらいにしか思っていなかったんですが……」
■内定取り消しが心配になり…
あれよという間に事態は進展。7月にはアメフト部の寮から大麻が発見され、部活動は全面停止に。8月には最初の逮捕者が出た。
「公式戦に向けてどう盛り返そうかくらいに考えていたのですが、それどころじゃないなと。逮捕されたK君はスタメンで練習も熱心。大麻をやってる素振りなんてみじんもなかったです」
東証プライム上場企業への入社が内定しているA君は、将来が不安になった。
「内定が取り消されないか心配になり、人事部に連絡しました。“逮捕されたりしない限り追及はしない”と言ってはもらえましたが、少し疑われているようでモヤモヤしましたよ」
■休部後、何をしていたのか
A君によれば、フェニックスの練習量は日本一だった。朝はウエイトトレーニングを1時間、授業後の17時半から全体練習を3時間、20時半からは自主練を1時間、21時半から23時半までミーティングだ。オフは週2日だけ。マネージャーは練習メニューを日中2~3時間かけて作成し、練習中は選手への声掛けに励む。生活の大半を占めるアメフトを奪われた彼らは、休部後、何をしていたのか。
「7~8割の部員がアルバイトを始めました。僕も9月から交通整理のバイトを週5日やってきました」
監督からは「ジム等でウエイトトレーニングをやるように」という指示があった程度だという。
「再び部員たちが顔を合わせたのは10月末からです。監督、コーチ同席の全体ミーティングが週1回、大学の教室で行われ、80~90人の部員が集まりました」
そこでは、薬物まん延の防止策が話し合われた。世間に再び認めてもらうために何をすべきかといった議論も交わされ、
「練習グラウンド周辺の清掃活動を行う案などが出ました」
■部員に説教する場面も
そんな未来に向けての話し合いの最中、廃部の知らせが部員に届く。11月28日の監督からの通達だ。
〈(日大の)競技スポーツ運営委員会の決定により、アメフト部は廃部となる事が決まりました〉
だが、一方的な通知に部員は猛反発。翌日、部員とOBの署名をかき集め、運営委に提出する。
「“大学側は対面で説明会を開くべきだ”“監督が表に立って説明してほしい”といった要望が部員から監督に伝えられたんです」
結果、部員に向けた説明会が行われはしたが、
「澤田(康広)副学長は学生の意見を聞いているのか聞いていないのか返事もおろそかでした。部の存続を泣きながら願い出る部員もいる中で、ある時は“言葉遣いが誤っているのではないか”と部員に説教する場面も。結局、廃部の決定は覆らず、無念でなりません」
ずいぶん酷な連帯責任だ。