同市が「150万都市」に名乗りを上げたのは1992年12月。95年1月の阪神・淡路大震災で約142万4千人(同年10月時点)まで人口が落ち込んだものの、01年6月に150万人台を回復した。
11年秋には約154万5千人に達したが、その後は下降局面に転じて今年は5月を除いて毎月、減少が続いている。10月の推計人口は9月(150万693人)から806人減った。
久元喜造市長は5月の記者会見で、出生数の減少幅が大きいことに触れ「市長就任時に想定した人口減のスピードを超えている」と言及。年内にも150万人台を割り込む公算が高いと述べていた。(金 旻革)