ボイストレーナーへの道のり ① 音楽との出会い
僕は現在、ボイストレーナーとして活動しています。
気が付けばいつの間にかボイストレーナーとしての道を進んでいて、早いもので25年ほどが経ちました。
いつまでも新人のような気持ちでいますが、時間は過ぎゆくものでキャリアはもう中堅からベテランの域に差し掛かってきたのかなと思います。
僕は初めからボイストレーナーになろうと思っていたわけではなく、歌や音楽で世の中に出てゆきたいと考えていました。
恐らく今ボイストレーナーをされている方の殆どが同じように考えていらしたと思います。
(最近は初めからボイストレーナーを目指している方も増えてきているのかなと思います)
僕は誰でも知ってる偉人・有名人ではありません。
ですが、僕がこれまでどのような過程を通じて現在に至ったのかを記すことで、何か感じてもらえるものがあるんじゃないかと思い、記事としてアップすることにしました。
シリーズとして全部で10回くらいになると思います。
プロの方も、
プロを目指される方も、
歌が大好きな方も、
音楽じゃない何か別なことに夢中な方も、
自分に自信がなくて、何がしたいのか分からないという方も、
きっとどこか心に触れることがあるんじゃないかと願っています。
【音楽との出会い】
ボクは幼い頃は、特に何の夢もない子供でした。
小学生の頃、アイドルになりたいって話すクラスの女の子に
「あれはきらびやかに見えて移動の車の中でしか寝れへんようなきつい仕事やねんで」
と、テレビで見たことを知ったかぶりで諭すような特に夢のない子供でした。
音楽は好きでした。
初めて買ってもらったレコード(CDではありません)は、2枚組のドラえもんのLPでした。
小学校3年生くらいの頃に、姉・兄の真似をしてピアノを習いましたが、練習がイヤすぎて一年も続きませんでした。
(黃バイエルが卒業出来ませんでした)
自分は「努力のできない駄目な人間だ」と小学生のボクは思いました。
でも、この時ピアノを習ったことで相対音感が身につきました。
それは今の「私」に不可欠のものとなっています。
人生、どこで何がどう繋がってゆくのか分からないものですね。
無駄な出来事は何一つないのだなと思います。
ボクは三人兄弟の末っ子で、兄や姉の影響を受けて育ちました。
兄は中・高校と吹奏楽部に所属していました。
兄が家で聴く音楽はクラシックがメインでしたが、日本の歌謡曲から洋楽、アジアンポップスなど幅広く聞いていました。
兄と同じ部屋だったボクは、いろんなジャンルの良曲を毎日耳にすることとなります。
一方、姉は芸術全般を愛する人で、兄とは異なる音楽の世界を教えてもらいました。
また姉を通じて音楽以外の様々な芸術に触れることが出来ました。
大学生時代にボクが音楽ではなく一旦演劇の道を進むことになったのは、姉の影響がかなり大きいです。
姉が何を美しいと感じるのかを知ろうとすることで、
「世の中には本当にいろんな考え方の人がいること」
「全ての生き方に間違いはなく突き詰めれば美しいこと」
を自分の中で受け止めようとしていました。
人生に「もしも」はありませんが、もしボクが長男だったり一人っ子だったりしたら、決して音楽の道に進むことは無かったでしょう。
その後、中学3年生の時、ボクは音楽と決定的な出会いを果たします。
中学の最後の音楽の授業で、
「各自、何か、演奏・歌唱、何でも好きな発表をすること」
という課題が出ました。
音楽が大好きなボクは
「何をしよう?」
「何かクラスのみんながあっと言うようなすごいことしたい!」
…と兄のテープライブラリを兄のいない時に内緒で聞き漁りました。
そして、このアルバムに出会って雷に打たれたような衝撃を受けました。
イントロのピアノの音とか、Steve Perryの突き抜ける声、Neal Schonのギター、すべてが、これまでに一度も聞いたことない感じで、強烈なリアリティーとインパクトを感じました。
それから、兄のテープライブラリをあれこれと聞いて、洋楽の世界にどっぷりとハマっていきました。
(と言いつつ、音楽の授業で披露したのは、竹内まりあさんの『すてきなヒットソング』という曲でした笑)
振り返ると、この時代がボクにとって、音楽を一番純粋に楽しんでいた時期かもしれないなと思います。
ボイストレーナーへの道のり ② へ続く