最近、日本でインタビューを受けていると、「最近の韓国の変化のきっかけはなにか」ということをよく聞かれる。そんなとき、私は決まって正義連の李容洙氏の暴露をあげる。世界で一番有名な当事者の暴露は、誰が訴えるよりも説得力があったからだ。
また、特に韓国の国民は正義連のみならず「弱者の盾」を持つ団体、組織の疑惑を感じながらも口に出せなかったことを考えれば、この暴露をきっかけにすべての左派団体、組織への疑惑が浮かび上がってきたともいえる。
この暴露のおかげで私のこれまでの活動に反対していた韓国の知人たちも、話を聞いてみようと連絡をしてくれたりするようになった。日本にとってはどこにでもありそうな内輪揉めの暴露に見えるかもしれないが、「反日」の一つである聖域へのタブーが破られたのは韓国社会を知るものにとっては大事件だったのだ。
事実、そこから芋蔓式に市民団体、労組への疑惑が噴出してきて、政府の圧力がかかるようになったし、それに対して韓国国民で同情する者は少ない。光化門前で左派が行うデモも地方からかき集めて何とか体裁を整えているが、ソウルに住む大半の国民にはそんな声も通じなくなっている。
日本への「罪悪感なし」
一方で、私が韓国人と話す度に感じるのは「責任感の欠如」である。事実、あれだけ反日、不買を行って、少なくとも私の様な自営業者は実被害を受けてきた。それにもかかわらず、何も考えず賛同していた韓国人は、不買運動自体が不遇だったと理解しても、自分が参加していたことへの責任は一切考えてないことが多い。これには本当に呆れてしまう。
ほかにも、私が韓国人に驚いた出来事ある。紹介された業者の韓国人が、日本との取引で毎年数億円の売り上げを出しているにもかかわらず、次のような言葉を言っていた時には本当に驚いた。
「私の親は日本に渡り、その後、商売を始めたが日本人にこっ酷く騙されて身ぐるみ剥がされたと聞いている。私は日本人を決して許さない」
というのだ。
「それならなぜ日本と取引しているのか。アメリカでもヨーロッパでもできるのに」
と、私が聞くと、
「たとえなにか取引で問題が生じたときに、日本が相手であれば罪悪感を感じないからだ」
と言い放ったのだ。仮に自分たちに問題が生じて、日本側に代金の支払いができないような状況になっても、さほど罪悪感を感じないというのだから呆れた。
韓国の「ちゃぶ台返し」
いまは少なくなったが、私が事業を韓国で始めた頃、日本と関わりを持つ個人事業者たちにはそんな考え方を持つ人が少なからずいて驚かされた。私がコンサル業で最初に苦労したのもそんな韓国人たちの“後始末的なもの”だった。日本の業者からは「韓国人は約束を守らないから」「来ると言うから待っててもこないし」などと、あげ出したらキリがないほどクレームを聞いた。