1976年4月5日 「北京で四五天安門事件」

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1976年4月5日 「北京で四五天安門事件」

1976年は、中国において文化大革命の終焉の時期であり、毛沢東主義に基づく政治的な弾圧が続いていました。しかし、毛沢東が亡くなったことにより、中国共産党内部には権力闘争が勃発しました。


当時、中央政府と地方政府の間には緊張があり、北京市内でも対立が深刻化していました。そして、1976年4月5日に北京市内の天安門広場で、当時の北京市長の鄧小平を批判するデモが起こりました。このデモには数千人の学生や市民が参加し、政府に対する不満や民主化を求める声が上がりました。


しかし、当初は比較的平和的なデモでしたが、政府が対応を怠ったことでデモ隊と警察の衝突が起こりました。この衝突で多数の死傷者が出たことで、デモは急速にエスカレートしました。そして、4月6日には北京市内で非常事態宣言が出され、軍隊が動員されました。


その後、デモ隊は天安門広場に籠城し、政府による民主化要求を訴え続けました。一方、政府側は武力鎮圧を行い、多数の市民を逮捕・投獄しました。また、中国全土においても同様のデモや暴動が発生し、政府による弾圧が行われました。


結果的に、四五天安門事件は数千人から数万人以上の犠牲者を出し、当時の政府による大規模な弾圧や拘束、投獄が行われました。この事件は、中国の歴史において重要な出来事であり、現在でも政治的な議論の的となっています。

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